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高山祭に見る人々の心の顕れ

今年2020年の「春の高山祭(まつり)」は非常に残念なことに世界的な新型コロナウィルスの影響で中止の運びとなりました。

岐阜の「春の高山祭」中止に 戦後初、14日に神事のみ実施

この2月から初めて高山に赴任してきた私としては、楽しみにしていただけにとても残念でした。赴任して以降わたくし自身、個人的にも地元の方との出会いが様々ありましたが、お会いした皆さまは一様に落胆の気持ちが大きい様子でした。
この祭りに掛ける地元の人々の思いというのは本当に並々ならぬものがあったのでしょう。

2つの高山祭とその意味合い

この高山祭、春と秋に年2回行われますが、それぞれ主催者が異なり、春は市南部にある日枝神社による山王祭、秋は北部にある櫻山八幡宮による八幡祭と呼ばれます。「高山祭」という名前はこの2つの祭りの総称となります。

まつりというのは、世界どこでも必ずその「いわれ」というものが存在します。この高山祭の場合も同様にそのいわれが存在し、その起源は春の場合は五穀豊穣の祈願、秋はその収穫の感謝を神々に奉げました。やはり、大きな自然の中で移り行く季節、そして自らが作る作物の成長の流れに沿ったところにこそ、本来の人々の生活というものは存在します。

屋台に命を掛ける

ただ、この高山祭、その祈りの部分だけでしたら、現在のように全国的に有名にはなっていません。

18世紀初頭から江戸や京都の祭りの影響を受けた大きな「屋台」、世間的には山車(だし)と呼ばれますが、この屋台の出現が高山祭を大きく変えることとなります。豪華絢爛に飾り立てられたこの屋台は、現代も含め多くの人々を魅了しています。実は、屋台が勃興する時代というのはちょうど、大原騒動と呼ばれる農民一揆が頻発する頃と符合します。幕府直轄地であった高山の豪商の見栄で豪華絢爛となった屋台でしたが、そこに本当の意味で魂が込められていくようになったのは、その屋台維持・運営に参加をした一般農民・町人たちによるものでした。この頃、農作物の不作が続く中たびたび飢饉にも見舞われ、人々は日々の生活に困窮しておりましたが、この祭りは関わるすべての人々の心を一つにしてくれていたのです。郡代をはじめとする行政、豪商そして農民・町人たち。それぞれ意図する部分は異なりましたが、祭りにそれこそ命を掛けてそれぞれの幸せを祈ったのです。

互いに想う和の心

立場に違いはあったとしても、それぞれを思いやり、心を一つにし、そして今も連綿と続く「高山祭」。そういえば、地元の方がおっしゃっておりました。「屋台は皆がバラバラでは動かない。心を一つにしてこそ、その一つの方向へ動くものだ。」と。

今年の秋には是非とも拝見させていただきたいものです。

合掌

 

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