文化財紹介

薬師瑠璃光如来

1156年の作。もともとは阿弥陀如来として造像された。一説には那智山の六角堂にあったとも言われている。おそらく伝教大師が奉納した初代の薬師如来が戦乱、あるいは災害などで失われたため、左手に薬壺を新たに持たせて、代わりとして祀られたと思われる。参拝者を圧倒する大きさや優美な衣の表現など、国の重要文化財にふさわしい傑作である。様々な病を直すと言われる薬師如来は、蟻の熊野詣と言われた昔から現代に至るまで多くの参拝者を迎えている。年に三回のみ、一般に公開される。1月8日の初薬師、1月13日の大般若の法要、4月8日の花祭り(通常8日と直近の土日の3日間開催)である。

願掛けの印

古来より薬師如来様に病気や怪我の平癒をお願いする際は、体の悪い部分を模した飾りを薬師堂正面の格子に懸けることが習慣として続いている。耳が悪い場合は平たい石を、目が悪いときは穴の空いた硬貨を、歯が悪いときはつまようじを束ねたものを、足腰が悪い場合はわら草履を、こころの病を抱えた方はガラスの玉を、それぞれ格子に懸けて下さい。また、頭痛がする方は髪を少し切り巾着に入れておかけ下さい。願掛けのしるしは、薬師堂正面に用意してありますので、病気にお悩みの方は薬師如来様にご祈願下さい。

毘沙門天&不動明王

通常、薬師如来の脇侍は日光・月光菩薩であり、昼と夜に分かれて看護士の役割をし、医者である薬師如来を補助すると言われている。しかし、天台宗の寺院では薬師如来の脇侍として毘沙門天と不動明王を配置することがある。福を呼び込む毘沙門天と、邪を払う不動明王がセットとなっている。この2体は鎌倉後期、約750年前に作られた。像内の木札には願主として那智山の僧侶の名が記されており、大泰寺が那智山と深い繋がりを持っていたことを示す貴重な資料でもある。

十二神将

十二神将は薬師如来を守護する戦士である。仏さまにも位があり、一番上は如来、その下が菩薩である。菩薩が如来になるためには、大願と呼ばれるいくつかの目標を立て、それを達成することが必要とされている。薬師如来の大願は12であったそうで、それを表すのが十二神将である。また、十二という数字は干支の数であるため、十二神将はそれぞれ干支を象徴している。近くに寄って見てみると、それぞれ頭の上に干支がのっている。昔は方角も時刻も干支で表したため、全ての方角から24時間、薬師如来をお守りします。という意味が込められている。

懸仏

正面の厨子(薬師如来が納められている箱)の上に懸けられた3枚の鏡のような円形の物体を懸仏(かけぼとけ)と呼ぶ。神社の中心には鏡が飾られるが、この懸仏も鏡であり、鏡に映った薬師如来を表している。3体がセットではなく、それぞれが薬師如来として納められたものである。両脇のものが一般的な大きさであり、それと比べ真ん中のものは巨大である。立体的な細工も技巧に富んでおり見応えがある。約600年前に、現在の上富田にいた豪族 藤原朝臣亀鶴丸が奉納したものである。

十二支の彫り物

薬師堂の周囲に飾られる十二支の彫り物は江戸時代後期、約180年前に奉納されたものである。奉納した村上大兵衛は大泰寺から川下に行った高芝という地区の生まれで、浅草に行き「大泰寺の薬師灸」を広め、大きな財を成すことができた。そして、名前を借りたお礼にと、江戸の名工 萱沼林齋に彫らせて、船で運び奉納が、これらの十二支である。江戸時代は、家康を祀るために建てられた日光東照宮を飾るなど木彫の需要の高い時代であったので、技術が飛躍的に発達した時代であった。その頃の高い技術を今に伝える名品であり、立体的かつ躍動的な表現は見事である。

薬師堂

この薬師堂は、本尊薬師如来を祀るためのお堂で、約600年前に建てられたものと伝わっている。災害などで壊れたため、何度も再建されおり、新しい木材も散見される。しかし、中央を囲む4本の太い柱は現在では手に入れることが難しく、当時のものが使われていると思われる。柱に見られるたくさんの穴には、戦乱の際につけられた矢の跡も見られる。

龍の彫刻

薬師堂中央の欄間に飾られた龍の彫り物も十二支と同じ江戸時代の作と思われる。これほど大きな一枚板から龍を彫り出すのは至難の技である。龍は雨を操ると言われている。雨が必要な農耕地帯で龍は大事にされている。また、仏教の教えが、雨が降るのと同じように民衆に浸透して欲しいという願いから、寺院では天井など高いところに龍が飾られることがある。葛飾北斎の浮世絵と同じでダイナミックな波の表現は江戸時代の特徴である。

聖観音菩薩座像

観音菩薩は33種類の異なる姿に変化することができると言われている。困っている人の状況に合わせて、最も適した姿を選び、困難な状況を好転させる。時に女性の姿になることもあると言われ、女性として造像されることも多い。仏様は基本的に男性であるため、母の慈愛を求める人々にとっては、最も身近な仏様である。この観音菩薩は、坂足という太田川上流の地区にあった正法寺の本尊であった。檀家の減少に伴い廃寺となったため、大泰寺に遷座された。大泰寺に数多くある仏像の中でも最も男前な仏像である。左手には蓮の花を持っている。泥の中から生まれ、美しい花を咲かせる蓮は、煩悩に溢れた俗世にありながら悟りを開く仏様の象徴とされる。